財源不足で築62年の「糸田橋」廃止へ 住民の日常に影を落とす老朽化の現実
2025年11月5日、西日本新聞が報じた福岡県宮若市・糸田橋の廃止方針は、単なる「1本の橋の終わり」ではありません。1963年(昭和38年)に架けられた長さ102mのPC橋は、かつては通学路であり、農作業の近道であり、地区のシンボルでした。しかし2020年度の定期点検で橋脚の不同沈下と主桁のひび割れが発覚。2021年7月から全面通行止めとなり、住民は400m下流の新糸田橋まで迂回を余儀なくされています。距離はたった400mですが、急勾配の坂を登り下りするため高齢者は15分以上かかり、雨の日は滑落の危険も伴います。
市は当初「補修で延命」を検討しましたが、見積もりは約3億円。対して市の橋梁維持予算は年間約5,000万円しかなく、優先度の高い市道橋3本の補修で予算は枯渇。住民説明会では「残してほしい」との声が相次ぎましたが、最終的に自治会長が「安全第一、やむなし」と判断。2026年度に撤去工事が始まり、橋の痕跡はコンクリート基礎だけが残る予定です。
全国約73万橋のインフラが一斉に高齢化 高度成長期の遺産が試練の時
国土交通省「道路橋定期点検要領」(2023年3月時点)によると、国内の道路橋は728,443橋。このうち約8割が地方自治体管理で、建設ピークは1965〜1975年。設計耐用年数はコンクリート橋で約50年、鋼橋で約70年とされ、2023年時点で築50年超は289,000橋(39.7%)。2033年には452,000橋(62.1%)に達し、2043年には7割を超えます。まさに「2023〜2033年が正念場」と国交省は警鐘を鳴らしています。
特に地方の「生活橋」は1日あたりの交通量が50台未満のものが半数以上。こうした橋は「社会資本」であると同時に「地域の記憶」でもあり、撤去は住民感情との軋轢を生みます。
点検で浮上した深刻な損傷 1巡目で6万橋超が「早期・緊急措置」判定
2012年12月の笹子トンネル天井板崩落事故(死者9人)をきっかけに、2014年7月から5年ごとの近接目視点検が義務化。1巡目(2014〜2018年度)では全国69,100橋が「判定III(早期措置)」または「判定IV(緊急措置)」に該当。うち自治体管理橋の修繕着手率は83.2%で、約11,600橋が2023年度末の期限を過ぎても未着手です。
損傷の内訳は「コンクリートのひび割れ・剥離」47%、「鋼部材の腐食」32%、「支承部の機能低下」15%。特に塩害地域(沿岸部)では腐食速度が年0.1mmを超え、残存寿命が10年を切る橋が続出しています。
廃止・撤去は546橋に及ぶ 「橋梁トリアージ」の時代が現実化
2024年度までの実績で、緊急措置段階(判定IV)の1,283橋のうち546橋(42.6%)が「撤去・廃止」または「代替橋への集約」に決定。内訳は自治体管理橋が511橋と9割以上を占めます。国交省は2023年6月に「橋梁長寿命化修繕計画の手引き」を改訂し、以下の3段階トリアージを推奨しています。
- 優先保全橋:1日交通量500台以上 → 補修・架け替え
- 延命可能橋:50〜500台 → 最小限補修で20年延命
- 集約対象橋:50台未満 → 近隣橋に統合・廃止
実際に島根県隠岐郡では、1日10台未満の橋8本を2027年までに全廃し、フェリー航路を増便する計画が進行中。住民は「船待つより早い」と受け入れ始めています。
予算・技術者不足のダブルパンチ 年間必要額は1.2兆円、実際は3,000億円
国交省試算では、老朽橋の予防保全・架け替えに必要な年間投資額は約1.2兆円。しかし2024年度の地方交付税措置を含む実質予算は約3,000億円で、4分の1しか確保できていません。さらに橋梁点検技士(一級土木技術者+特別教育修了者)は全国で約8,500人。年間1万橋の2巡目点検が必要なのに、技術者1人あたり年間20橋が限界で、2028年までに約3,000人の追加養成が急務です。
今後も続く老朽橋の「選別」 データが語る避けられない未来
年間約10,000橋が「架け替え適齢期」を迎える一方、実際の架け替えは約1,000橋/年。10年で9万橋のバックログが生じます。糸田橋の事例は「地方の縮図」であり、類似ケースは以下のペースで表面化する見込みです。
- 2026年度:約800橋が撤去・廃止決定
- 2030年度:年間1,500橋超が「住民説明会」開催
- 2035年度:生活橋の3橋に1橋が「消滅」
解決の鍵は3つ。(1)国が「橋梁ファンド(仮称)」を創設し、地方債の利子補給を10年間100%化。(2)ドローン+AIによる点検を標準化し、コストを3割削減。(3)住民参加型の「橋守(はしもり)会議」を全自治体で設置し、感情とデータの橋渡しを。
築62年の糸田橋が消える2026年春、川面には新しい風景が広がります。そこに架かるのは「安全」と「諦め」の架け橋――。73万橋の未来は、私たちの選択にかかっています。
