・朝日新聞記事「なぜリベラルは人気がないのか」の概要
・朝日新聞が「偏向メディア」と批判される具体的背景
・思想以前の信頼性の欠如
・読者が求めているのは「啓蒙」ではなく「事実」
朝日新聞記事「なぜリベラルは人気がないのか」の概要
2025年11月21日付の朝日新聞に掲載された記事「なぜリベラルは人気がないのか 斎藤幸平さんが指し示す未来への道筋」では、東京大学大学院の斎藤幸平准教授が「朝日地球会議2025」のセッションで講演した内容が紹介されています。この講演の冒頭で、斎藤氏は「朝日新聞のようなリベラルがどうして人気がないのか。それを乗り越えるために脱成長が必要なんです」と述べ、リベラル思想の支持低迷を指摘しました。
記事によると、斎藤氏は各国で広がる複合危機(気候変動、格差拡大、分断社会)を資本主義の弊害として分析し、リベラルの人気低下の原因を「再分配の政治をやめてアイデンティティーポリティクスを重視する姿勢」と位置づけています。具体例として、米国民主党がグローバル化下で自由競争や規制緩和を推進し、労働者層を見捨てた結果、トランプ氏のような右派ポピュリズムが台頭した点を挙げています。解決策として、承認と再分配の両立、さらには脱成長社会への移行を提言しています。
朝日新聞が「偏向メディア」と批判される具体的背景
朝日新聞は伝統的にリベラル寄りの報道姿勢で知られていますが、一部で「偏向新聞」との批判が根強く、発行部数の減少や信頼度調査での低評価につながっています。主な批判点として、以下の事例が挙げられます。
過去の誤報事件とその影響
2014年に相次いで発覚した「吉田調書」報道と「吉田証言」報道が、朝日新聞の信頼性を大きく損なうきっかけとなりました。「吉田調書」では、福島第一原発所長の吉田昌郎氏の政府事故調査委員会への証言を、撤退命令として誤報した疑いが指摘され、朝日新聞は記事の撤回と謝罪を発表しました。一方、「吉田証言」では、従軍慰安婦問題に関する文筆家・吉田清治氏の証言を事実として報じたものの、証言の信憑性が否定され、これも撤回となりました。これらの事件は、原発事故や慰安婦問題に対する朝日新聞のイデオロギー的傾向が誤報を招いたとの批判を呼び、信頼失墜の決定打となりました。
報道姿勢の偏りと「しない自由」
安倍政権時代には森友・加計学園問題で政府の不透明さを追及しましたが、2017年の加計学園閉会中審査では、前愛媛県知事の加戸守行氏の発言(前文科省事務次官・前川喜平氏の主張と対立する内容)をほとんど報じず、「報道しない自由」を行使したとの指摘を受けました。このような選択的報道が「偏向」と見なされ、政治家や支持者間で「朝日ぎらい」が共有される要因となっています。
「正しい主張」でも届かない――思想以前の信頼性の欠如
リベラル再生の鍵として「脱成長」や「再分配」という思想の転換を提言しています。しかし、ここまで見てきたように、朝日新聞が直面している現実は、思想以前の「報道機関としての信頼性の崩壊」です。
いくら新たな未来への道筋を指し示したとしても、それを発信するメッセンジャー自身が「偏向」や「誤報」のレッテルを払拭できない限り、その声が国民に広く届くことはないでしょう。斎藤氏の講演は、朝日新聞という媒体で発信された時点で、その説得力を失ってしまうという皮肉な構造を孕んでいます。
読者が求めているのは「啓蒙」ではなく「事実」
さらに踏み込んで言えば、朝日新聞が掲げる「リベラルの復権」というテーマ自体が、読者の感覚から大きくズレていると言わざるを得ません。
「リベラル対保守」という対立軸の無意味さ
そもそも現代において「リベラル」という看板自体が有効性を失っています。「保守」とされる自民党であっても、リベラル的な政策を全て否定しているわけではなく、現実的な対応として柔軟に取り入れているのが実情です。複雑な現代社会において、新聞社がいまだに昭和のような「保守 vs リベラル」という単純な対立構造(イデオロギー)に固執し、その枠組みでしか社会を語れないこと自体が、読者離れを加速させています。
新聞の役割は「思想の布教」ではない
ほとんどの読者が新聞に求めているのは、特定の思想に基づいた「啓蒙」ではなく、ありのままの「事実の報道」です。「大衆を正しい方向へ導こう」というメディア側のエリート意識や、事実に思想を混ぜ込んで報じる姿勢がある限り、どんなに高尚な理論(脱成長など)を持ち出しても、それは誰の心にも響きません。
朝日新聞に必要なのは、リベラル思想の再構築ではなく、「イデオロギーで事実を歪めない」というジャーナリズムの原点に立ち返ることだけなのかもしれません。
