妖怪川柳コンテスト終了の衝撃
2025年11月、伝統の「妖怪川柳コンテスト」が今年限りで終了すると発表されました。最大の理由は「AI生成句と人間の句が見分けられない」こと。主催者側は「人間の創作物だけを評価する場を維持できない」と判断したのです。
しかし——本当にそれでいいのでしょうか?
AIは「道具」であり「作者」ではない:AI時代の「創作」の新常識
- AIに投げるプロンプトは100%人間の思考
- 生成された数十案から「これだ!」と選ぶのも人間
- 一文字単位で推敲するのも、もちろん人間
つまり、AIは万年筆やワードプロセッサと同じ。誰も「ワードで書いたから文学じゃない」とは言いません。
「見分けられない」=「人間の感性に到達した」証拠
AI句が人間句と区別できないということは、AI+人間のハイブリッドがすでに「面白い」を生み出せているということ。審査員が面白いと思った句がAI協働でも、見る人の笑顔は本物です。
コンテストの価値は「誰が作ったか」ではなく「笑えるか」
見る人が面白いと思う瞬間——それが川柳の真のゴールです。
江戸の昔、柄井川柳が筆を走らせたときも、明治の新聞投書欄に無名のサラリーマンが一句送ったときも、見る人は「作者の戸籍」を調べたりしませんでした。
ただ一つの基準だけです。
「面白かったか?」
AI時代も同じです。
人間が100時間かけてひねり出した句と、
人間が30秒で書いたプロンプトからAIが10秒で生み出した句が、
同じタイミングで同じ客席を爆笑させたなら——
どちらが「本物」か?
答えは簡単。
笑いの大きさだけが真実です。
終了ではなく「進化」のチャンス
AIは妖怪ではありません。
人間の想像力を10倍速で形にする新しい筆です。
歴史を振り返れば、創作の「道具革命」は常に文化を押し上げてきました。
- 活版印刷 → 文学の大衆化
- ワープロ → 小説投稿数の爆発
- Instagram → 写真表現の民主化
AIも同じ道を歩みます。
「人間が100句考える時間で、1万句を吟味できる」時代が到来したのです。
「面白い」作品を選ぶこと——
それこそがコンテストの最終目的ではありませんか?
