映画「トラペジウム」
アマゾンプライムビデオで映画「トラペジウム」を見たんだ。
登場人物の心理描写が少ないと感じたけど原作(トラペジウム (高山一実) )はどうなの?
原作小説の心理描写について
原作『トラペジウム』(高山一実著)は、主人公・東ゆうの視点で書かれた一人称小説です。そのため、ゆうの内面や感情、思考が非常に詳細に描かれています。以下のような特徴があります
主人公の内面の深掘り:ゆうのアイドルになるための強い意志や、そのために手段を選ばない打算的な思考、葛藤、焦り、喜びなどが細かく描写されています。彼女の「夢への執着」や「周囲を利用する姿勢」が、心理的な動機や背景とともに丁寧に掘り下げられており、読者はゆうの複雑な感情や行動原理を深く理解できます。
他のキャラクターの心理:ゆうの一人称視点のため、他のキャラクター(大河くるみ、華鳥蘭子、亀井美嘉など)の心理描写は直接的には限られていますが、ゆうの観察や対話を通じて間接的に彼らの感情や動機が伝わります。特に、ゆうが彼らを「仲間」として見つつも、アイドル計画の「駒」として扱う視点が、彼女自身の心理の冷徹さや打算性を際立たせています。
リアリティと感情の生々しさ:原作者の高山一実が元乃木坂46メンバーであるため、アイドルを目指す過程でのリアルな感情や葛藤が反映されており、ゆうの心理描写には説得力があります。たとえば、アイドルとしての「光」と「影」、成功へのプレッシャーや人間関係の軋轢が、ゆうの内面を通じて鮮明に描かれています。
映画の心理描写との比較
映画版『トラペジウム』は、原作の一人称視点から第三者視点の映像作品に変換されているため、心理描写の表現方法が異なります。以下のような違いが指摘されています:
心理描写の省略:映画は94分という尺の制約上、原作の詳細な心理描写をすべて再現することは難しく、ゆうの内面を直接的に描くよりも、行動や表情、演出を通じて間接的に示すアプローチが取られています。これにより、ゆうの打算的な行動や狂気的な執着が強調される一方で、彼女の内面的な葛藤や動機の深掘りが不足していると感じる観客もいるようです。
演出による心理表現:映画では、ゆうの心理をビジュアルや音楽で表現する試みが見られます。たとえば、彼女の打算的な行動(文化祭でのアイドル衣装撮影シーンなど)は、キラキラした表情や音楽と対比させることで不気味さや狂気を強調しています。しかし、これが原作のような内面の細やかな描写に代わるものとして十分に機能していないと感じる場合もあるようです。
他のキャラクターの心理:映画では、ゆう以外のキャラクターの心理描写も限定的です。原作ではゆうの視点を通じて彼らの感情が間接的に描かれていましたが、映画ではグループの不和や脱落の過程が比較的簡略化されており、くるみや蘭子、美嘉の内面が深く掘り下げられていないと感じられることがあります。
なぜ映画で心理描写が少なく感じるのか?
メディアの違い:小説は一人称視点でゆうの頭の中を直接描写できるのに対し、映画は視覚的・客観的なメディアです。そのため、原作の内省的な記述をそのまま再現するのは難しく、行動や表情で示す必要があるため、心理描写が簡略化された印象を与える可能性があります。
尺の制約:原作の長編小説を94分の映画にまとめるため、ゆうの心理描写や他のキャラクターの背景を省略せざるを得なかった部分があります。特に、ゆうの行動の動機や葛藤を深く掘り下げるシーンが削られ、物語がテンポ重視で進む傾向があります。
テーマの強調:映画はゆうの「アイドルへの執着」や「打算的な行動」を強調することで、アイドルの光と影を描くことに注力しています。そのため、彼女の内面の複雑さよりも、行動のインパクトや物語の展開を優先した結果、心理描写が薄く感じられる場合があります。
観客の反応と補足
一部の観客は、映画のゆうの行動が「共感しづらい」「異常に見える」と感じ、心理描写の不足がその原因だと指摘しています。原作では、ゆうの行動の背景や動機が詳細に書かれているため、彼女のエゴイズムや狂気が理解しやすい一方、映画ではその説明が不足しているとの声があります。
ただし、原作未読の観客の中には、映画の演出やゆうの行動から間接的に心理を読み取れたと感じる人もおり、評価は分かれています。たとえば、ゆうの「キラキラした表情」や「文化祭のシーン」の不気味さが、彼女の内面の歪みを効果的に表現していると捉える声もあります。
結論
原作小説『トラペジウム』は、一人称視点により東ゆうの心理描写が非常に詳細で、彼女の打算や葛藤、アイドルへの執着が深く掘り下げられています。一方、映画版は尺やメディアの特性上、心理描写が簡略化され、行動や演出でゆうの内面を表現する傾向があるため、心理描写が少ないと感じるのは自然な反応です。特に原作を読んだ後だと、ゆうの内面や他のキャラクターの感情の深さが映画では物足りなく感じられるかもしれません。
もし原作未読であれば、原作小説を読むことで、ゆうの心理や行動の背景をより深く理解できると思います。原作はKADOKAWAから出版されており、図書館や書店、電子書籍で入手可能です。映画と原作を比較しながら、ゆうの複雑な内面や物語のテーマをさらに楽しんでみるのはいかがでしょうか?
小説を映画にする難しさ
小説を映画にすること、つまり小説を映像化する際の難しさは、いくつかの要因に起因します。以下に、主な課題を簡潔にまとめます
情報量の違い
小説は文字で詳細な心理描写や背景説明を伝えられるが、映画は時間(通常2時間程度)や視覚・聴覚の制約があるため、情報を大幅に削減する必要がある。重要なシーンやキャラクターの内面をどう取捨選択するかが難しい。
読者の想像と映像の具体性
小説は読者の想像力に委ねられる部分が多く、キャラクターや世界観の解釈が人によって異なる。一方、映画は具体的なビジュアルや演技で表現するため、原作ファンの期待と異なる場合、批判を招きやすい。
メディアの表現方法の違い
小説は叙述やモノローグで深い感情や複雑なストーリーを描けるが、映画では「見せる」ことが中心。内面的な葛藤を映像や演技、音楽でどう表現するかが課題。特に、抽象的・哲学的なテーマは映像化しにくい。
時間の制約
小説は数百ページにわたる物語を展開できるが、映画は短時間で完結する必要がある。複雑なプロットやサブストーリーを省略したり、簡略化したりする過程で、原作の深みが失われることがある。
原作への忠実さと映画としての独自性
原作に忠実すぎると映画としての創造性が損なわれ、逆に大胆に改変するとファンの反感を買う。バランスを取るのが難しい。
キャスティングと視覚化の難しさ
キャラクターの外見や雰囲気、舞台設定が原作のイメージと一致しない場合、違和感が生じる。たとえば、読者が抱く主人公のイメージを俳優が再現するのは至難の業。
予算と技術的制約
ファンタジーやSFなど、壮大な世界観を持つ小説は、CGIやセット制作に多額の予算が必要。予算不足だと原作のスケール感を再現できない場合がある。
例:『ロード・オブ・ザ・リング』は成功例だが、原作の膨大な記述を3部作にまとめるため多くのエピソードがカットされた。一方、『ハリー・ポッター』シリーズも一部のファンから「細かい描写が足りない」と批判された。
解決策の例
脚本家や監督が原作の「核」(テーマやキャラクターの魅力)を捉える。
ファンと一般観客の両方を意識した改変を行う。
映像ならではの強み(音楽、映像美、演技)を活用して小説の雰囲気を補う。
トラペジウムについてはどう?
『トラペジウム』(原作:高山一実)は、アイドルを目指す少女・東ゆうが「東西南北の美少女」を集めてアイドルグループを結成する物語で、2016年から2018年まで『ダ・ヴィンチ』で連載され、2018年に単行本化(累計30万部)、2024年にCloverWorksによるアニメ映画化がされた作品です。以下、小説を映画化する際の難しさと『トラペジウム』に関連付けたポイントを簡潔にまとめます。
心理描写の映像化
難しさ: 小説は東ゆうの打算的で複雑な内面や葛藤を詳細に描くが、映画では視覚・聴覚で表現する必要がある。ゆうの「サイコパス的」と評される行動(例:仲間を目的達成の道具として見る)は、映像で直接的に表現すると観客に嫌悪感を与えるリスクがある。
対応: 映画では、ゆうの行動をアニメ特有の表情や声の演技(結川あさき)でソフトに表現し、視聴者の反発を抑えつつ彼女の情熱を強調。主題歌(MAISONdes feat. 星街すいせい)や音楽(横山克)で感情の揺れを補強。
物語の凝縮
難しさ: 小説の10年にわたる物語を約94分の映画にまとめるため、詳細なエピソードやサブキャラクターの背景が省略されがち。特に、ゆうの努力の過程が不足すると、彼女の行動が唐突に見えるとの批判も。
対応: 映画は文化祭やテレビ出演など鍵となるイベントに焦点を当て、テンポを速めて進行。原作者の高山が脚本や音楽に携わり、物語の「核」(アイドルへの執着と青春の痛み)を維持。
原作ファンの期待と映画の独自性
難しさ: 原作は乃木坂46ファンを中心に支持され、メンバー(特に西野七瀬)を彷彿とさせる描写が話題に。映画でこれを忠実に再現しすぎるとアニメとしての魅力が薄れ、改変するとファンの反感を買う。
対応: キャラクターデザイン(りお)や声優陣(羊宮妃那、上田麗奈、相川遥花など)で原作の雰囲気を残しつつ、アニメらしい誇張されたビジュアルや演出で独自性を追加。たとえば、星座モチーフを強調し、ゆうのアイドル像を「星」に重ねる演出は映画独自の解釈として評価された。
テーマの深さの表現
難しさ: 小説はアイドル業界の闇や人間関係の軋轢をリアルに描くが、映画では明るいアイドルアニメのトーンとのバランスが課題。ゆうの自己中心的な行動やグループの崩壊が、観客にとって「苦痛」になる場合も。
対応: 映画は「青春の痛みと成長」を強調し、ゆうの打算性を「夢への執念」として再解釈。星団「トラペジウム」のメタファー(不等辺四辺形=不安定な関係、輝く星=アイドル)を視覚的に表現し、テーマを補強。
観客の受け取り方の多様性
難しさ: ゆうのキャラクターは賛否両論で、「サイコパス」と感じる観客もいれば、彼女の情熱に共感する声も。原作のリアルなアイドル経験が、映画では抽象化されすぎると物足りなさが残る。
対応: 映画はゆうの成長を事後的に描くことで、彼女の行動に「青春の未熟さ」としての文脈を与え、共感の余地を残した。エンディングテーマ「方位自身」や本編シーン(例:「人間って光るんだって」)で感情的な余韻を強化。
評価と特徴
成功点: CloverWorksのアニメーションは、色彩や動きでアイドルの「輝き」を表現し、特にライブシーンや星空の描写で小説のテーマを視覚化した。原作者の高山が制作に関与したことで、原作の精神が保たれた。
課題: 一部で「ゆうの努力不足」や「人間関係の薄っぺらさ」が批判され、アイドルアニメとして期待される「華やかさ」が控えめだったとの声も。従来のアイドルアニメ(『アイカツ!』など)とは異なり、悲劇的な展開が中心で、観客を選ぶ作品に。
総評: 『トラペジウム』の映画化は、小説のリアルな感情とアイドル業界の複雑さをアニメの美しさで表現しようとした挑戦的な試み。心理描写や時間の制約を映像で補う工夫が見られるが、ゆうのキャラクターの受け入れられ方にばらつきがある点は、小説から映画への移行の難しさを象徴している。
補足
関連情報: 映画は2024年5月10日公開、Amazon Prime Videoで2025年5月30日から配信中。主題歌や声優の演技が高評価で、国際アニメーション映画祭でも特別賞を受賞。